こんにちは!
今日は、世界三大名城について紹介したいと思います!
世界三大名城に選ばれたのは、
ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)
姫路城(日本)
紫禁城(中国)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
ノイシュバンシュタイン城とは、ドイツ、バイエルン地方の岩山の頂に建つネオロマネスク様式の大理石造城郭。
建築好きのルートウィヒ2世が幻想趣味を駆使して建てたもので、C.ジャンク (舞台装置設計家) の案に基づき、建築家 E.リーデル、G.ドルマン、J.ホフマンらが 1869~86年に建造。
※ルートウィヒ2世とは、バイエルン王(在位 1864~86)。
マクシミリアン2世ヨーゼフの長男。
1866年のプロシア=オーストリア戦争では、オーストリアに加担して敗北。
1870年普仏戦争ではフランスの誘いを退けてプロシアとともにフランスと戦ったが、オットー・ビスマルクによるドイツ統一には不満であった。
晩年内外の政治に対する不満から徐々に精神に異常をきたし芸術に逃避、宮殿建設のマニアとなり、ついにベルク宮脇のシュタルンベルク湖に身を投じた。
姫路城
別名、白鷺 (しらさぎ) 城。
正平1=貞和2 (1346) 年に赤松貞範が築城したのに始まるという。
以来、室町時代は赤松氏によって保たれ、戦国時代には小寺氏が在城した。
豊臣秀吉が中国征伐の拠点として、天正8 (1580) 年ここに3層の天守閣を築いた。
現在の規模にしたのは、慶長5 (1600) 年城主となった池田輝政で、その後入封した本多、松平、榊原の諸氏が三の丸、西の丸を改修し、寛延2 (1749) 年以来は酒井氏の居城として明治にいたった。
城郭は、姫山を利用し、内・中・外の3重の堀をめぐらし、内・中・外の3重の郭からなり、東西約 1635m、南北約 1744mの広大なもの。
内部は、本丸、二の丸、三の丸、西の丸からなり、本丸には、外部5層、内部6階の大天守と西、乾、東の3小天守を置き、これらを渡し櫓 (やぐら) で連絡させている。
上下左右に多数の櫓、城門、土塀を配し、これに無数の狭間 (さま) を設けて防備を固くしてある。
各櫓は千鳥破風 (はふ) や唐破風によって変化に富み、白漆喰 (しっくい) 塗りの白壁の総郭は一大美観を呈し、その構造とともに日本城郭史上の粋をなしている。
紫禁城とは、中国のペキン(北京)直轄市にある、明、清代の皇宮。
紫禁の名は、北斗星の北に位置する紫禁星が、天帝の居所とされることに由来する。
1912年の中華民国の成立以後、しだいに一般に開放されるようになり、今日では「昔の皇宮」の意で故宮と呼ばれる。
北京の内城中央に位置し、南北 961m、東西753m、敷地面積は約 72万㎡で、周囲に幅 52mの堀をめぐらし、城壁で囲まれている。
明の永楽帝が北京への遷都に向け建築を計画し、永楽18(1420)年に移り住んだ。
明末の李自成の乱でほぼ全焼し、現存の建造物は清代に再建されたものが多いが、創建当初の規模を伝えている。
城内は、皇帝が居住した北の内廷と、皇帝が政務をとった南の外朝に区分され、内廷には南北一直線上に乾清門、乾清宮、交泰殿、坤寧宮、坤寧門などが建ち、外朝には南から午門、太和門、太和殿、中和殿、保和殿などが並ぶ。
東には文華殿、文淵閣など、西には武英殿、南薫殿などの門、宮殿が建つ。
このうち太和殿は紫禁城の正殿で、清の康煕帝の時代(1661~1722)の再建、中和殿と保和殿は天啓7(1627)年再建のものである。
午門は歴史博物院、内廷は故宮博物院として一般に公開されている。
午門の南にある天安門は、国慶節やメーデーに政府要人が登楼することで有名。
如何でしたか?
どの城も比較的有名ですね。
特に、ノイシュバンシュタイン城はディズニーランドのシンデレラ城のモデルとして知っている方もいるのではないでしょうか?
私は、ノイシュバンシュタイン城と紫禁城には行ったことがないので、いつか行ってみたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!