こんにちは!
今日は、日本三大疏水(そすい)について紹介したいと思います!
疏水とは、灌漑、給水、舟運、発電などのために土地を切り開いて設けた水路のことです。
日本三大疏水に選ばれたのは、
安積疏水(あさかそすい)(福島県)
那須疏水(栃木県)
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
大津市三保崎から京都府京都市山科、蹴上(けあげ)を経て伏見にいたる。
第1疏水は全長 17.7km、幅 6.4~11.5m、水深 1.7m。
1885年に着工、1890年完成。
第2疏水は第1疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走り、全長 7.4km、幅 4m、水深 3.1mで蹴上で第1疏水と合流。
1912年完成。
※用水路とは、農業用水や都市用水を移送するための人工の水路。
一般には農業用灌漑用水のための水路を意味することが多く、この場合、水源からの水路を幹線水路、それから分岐するものを支線水路、耕地に沿う水路を最小用水路という。
高所を通過させて灌漑面積を拡大し、水路の沈殿物を少なくするために、水路の流速を大きくするなどの点に留意して建設される。
水利の悪い洪積台地、扇状地、火山の裾野などの開拓には重要な意義をもつ。
武蔵野台地の玉川上水、那須野の那須疏水、矢作川付近の明治用水などは飲料用水を得る目的が強く、農業・工業・飲料用水、発電などの多目的の用水路としては琵琶湖疏水、愛知用水などが、農業用水路としては豊川用水、香川用水などがある。
安積疏水
安積疏水とは、福島県、猪苗代湖の水を阿武隈川に導く灌漑用水路。
郡山盆地一帯を潤す。
旧安積疏水は 1882年三島通庸によって開削され、士族授産がはかられた。
1951年郡山盆地南部を灌漑する新安積疏水が完成。
新疏水路は旧疏水路より一段高位置を流れる。
新旧両疏水で約 90㎢を潤す。
※灌漑とは、農業生産の効率化のために、土地に対して人為的に給排水すること。
水田灌漑と畑地灌漑とに大別されるが、従来日本では前者の発達が著しい。
現在では愛知用水に代表されるように、総合的な水資源利用を含めた規模で考えられ、近代灌漑は関連分野の専門知識、技術を駆使した国土開発計画として大きく発達した。
最も広い灌漑面積をもつ国は、中国、インド、アメリカ、旧ソ連、パキスタンなどであるが、そのほかにもアスワン・ハイダムにみられるように、大規模な灌漑工事が各地に進行しつつある。
※士族授産とは、明治新政府が旧武士層の生活救済のために行なった施策。
明治4 (1871) 年の廃藩置県以後、新政府では士族の俸禄を永続的に支給できないため、秩禄処分がたびたび論議されたが、政府はその経済的没落を黙視することができず、農業あるいは商業の道につかせようと種々の保護を与えた。
1873年の官林荒蕪地 (こうぶち) 払下規則をはじめ、屯田兵の奨励、起業公債発行条例などがその例である。
しかし 76年、秩禄支給が打切られてからは、「士族の商法」の名のように一時金の投資や事業運営に失敗するものが多く、救済は成功しなかった。
政府だけでなく、鹿児島の私学校など、各地で在野の士族授産も試みられている。
那須疏水
那須疏水とは、栃木県北部、那須野原にある那珂川から引水した用水路。
本幹水路の延長 16.5km、4分水を合わせると延長 112.2km。
水田灌漑面積 9.97㎢。
1880年矢板武、印南丈作により那須開墾社が組織され原野の開墾が始められたが、飲料水が不足、那須疏水の開削が開始された。
飲用水路は 1881年着工、翌 1882年に完成。
灌漑用水路は国の直轄工事として 1885年着工、本幹水路は同 1885年完成。
第1分水から第4分水にいたる支線は 1886年までに完成。
以後那須疏水普通水利組合によって管理されてきたが、那須疏水土地改良区の管理に変わった。
如何でしたか?
水という資源がいかに重要だったかということがよくわかります。
これからの時代も、水が大事になってくると思うので、開削した方々には感謝したいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!