こんにちは!
今日は、世界三大聖人について紹介したいと思います!
世界三大聖人に選ばれたのは、
釈迦
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
イエス・キリストとは、世界最大級の宗教の1つであるキリスト教の創始者。
イエスの行いとことばは新約聖書の4つの福音書に記されて今日に伝えられている。
福音書の記述は信仰と史実が融合しているが、生涯の大要は知ることができる。
イエスは神からつかわされて救いを告知する神の子、メシアをもって自認し、神の国の到来と、特に貧者、病者、罪人の解放の福音を述べ伝えたほか、多くの癒やしの奇跡によって悩める人々を救ったといわれる。
しかし形骸化した律法に固執する当時のユダヤ教指導者の偽善を厳しく批判し、律法からの解放と、真の隣人愛を説いたため、彼らからローマに対する反逆人として訴えられ、30年頃エルサレム郊外で十字架刑に処せられた。
このイエスが 3日後に復活したとする確信によって弟子たちのイエスを救い主とする信仰が固められ、十字架の死は人類を罪から救うあがないの死であり、これによって旧約に代わる救いの新しい契約が神と人との間になったとされて、キリスト教の宣教が開始された。
儒教の祖。
名は丘。
字は仲尼(ちゅうじ)。
諡(おくりな)は至聖文宣王など。
先祖は公族であったが家はきわめて貧しく、魯に仕え大司寇となったが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊した。
諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられる。
堯、舜、文王、武王、周公旦らを尊崇し、古来の思想を大成し、為政者の徳によって民衆を教化する徳治主義を根幹とし、周の遺制たる礼楽制度による周への復古を説いた。
その教えは、儒教として中国思想の根幹となり、後世に大きな影響を及ぼした。
※春秋時代とは、中国、東周時代の前半をさす。
周の平王が都を鎬京 (こうけい) から洛陽に移した平王1 (前 770) 年から威烈王 23 (前 403) 年あるいは貞定王 16 (前 453) 年までをいう。
名称は孔子が編纂したと伝えられる『春秋』に由来する。
元来周王室の東遷は異民族の犬戎の侵入のためであったから、この時代は有力諸侯が形式的には周王を尊重、異民族を撃退し、中国民族を結合させようとして「尊王攘夷」を唱え、実際は諸侯を集めて同盟をつくり、その覇者として実権を握っていた。
斉の桓公をはじめ、「春秋の五覇」と称される諸侯がそれである。
やがて諸侯も実権を貴族の卿大夫 (けいたいふ) に握られ、「下剋上」の風潮が現れてきた。
旧秩序が崩壊し、新秩序が生まれようとする過渡期で、文化・社会面に大きな発展がみられる。
釈迦
釈迦とは、仏教の開祖。
釈迦牟尼 (むに) ともいう。
釈迦は種族名 Śākyaの、牟尼は聖者を意味する muniの音写。
シャカ族の国王浄飯王を父とし、摩耶夫人を母とし、姓をゴータマ Gotama (瞿曇〈くどん〉) 、名をシッダールタSiddhārtha (悉達、悉陀) という。
生後まもなく母を失い、叔母の手で養育された。
16歳で結婚、息子ラーフラをもうけたが、29歳のとき意を決して出家。
修行の末、35歳頃ブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダ buddha (仏陀 ) 、すなわち覚者となった。
ワーラーナシの郊外サールナートの鹿野苑で最初の説法を行い、以後 80歳で没するまで、ガンジス川流域の中インド各地を周遊して人々を教化した。
如何でしたか?
3人とも、1度は名前を聞いたことあるのではないでしょうか?
この3人の教えは、現代にも受け継がれていると思うので、是非1度どのようなことを言っているのか調べてみては如何でしょうか?
最後までお読み頂き有難う御座いました!