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世界三大肖像画家って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、世界三大肖像画家について紹介したいと思います!

 

世界三大肖像画家に選ばれたのは、

ディエゴ・ベラスケス

東洲斎写楽

レンブラント・ファン・レイン

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

ディエゴ・ベラスケス

 

 

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ディエゴ・ベラスケスとは、スペインの画家。

フルネーム Diego Rodríguez de Silva Velázquez。

ペーテル・P.ルーベンスレンブラント・ファン・レインと並び、バロック美術を代表する巨匠。

ポルトガル系スペイン人で、F.エレラと F.パチェコに学び、1618年パチェコの娘と結婚。

1622年マドリードを訪れ、翌 1623年 24歳でフェリペ4世の肖像画を描いて名声を高め、宮廷画家となった。

1628年ルーベンスと出会い、以後彼の彩色法、装飾法などを取り入れ大きな影響を受けた。

1629年ジェノバベネチア、ローマ、ナポリをめぐり、1631年マドリードに戻ったが、1649年にイタリアを再訪。

1651年帰国し、この間最大の肖像画家として王家や廷臣の肖像を多く描いた。

明暗の処理、光線の表現、遠近法に熟達し、近代外光絵画の先駆者といわれる。

主要作品は中期の代表作『ブレダの開城』(1634~35、プラド美術館)、晩年の新手法による群像画の二大傑作『ラス・メニナス(宮廷の官女たち)』(1656、プラド美術館)と『織女たち』(1657頃、プラド美術館)。

 

 

 

 

 

東洲斎写楽

 

 

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東洲斎写楽とは、寛政期 (18世紀末期) に活躍した江戸の浮世絵師。

伝記、画系ともに不詳。

寛政6 (1794) 年5月頃から翌年2月頃までに 140種前後の役者似顔絵、および若干の相撲絵を作画したと推定されている。

版元は蔦屋重三郎

作品は主観的で特異な画風のため長く評価されなかったが、明治末期から役者似顔絵の極致を示すものとして重要視され世界的に有名になった。

主要作品『市川鰕蔵 (えびぞう) の竹村定之進』『松本幸四郎の肴 (さかな) 屋五郎兵衛』『中山富三郎の宮城野』『市川高麗蔵 (こまぞう) の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川』『瀬川菊之丞の傾城 (けいせい) かつらぎ』『大谷鬼次の奴江戸兵衛』『市川男女蔵の奴一平』。

 

 

 

 

 

レンブラント・ファン・レイン

 

 

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レンブラント・ファン・レインとは、オランダの画家、銅版画家。

フルネーム Rembrandt Harmenszoon van Rijn。

製粉業者の子に生まれ、1620年ライデン大学に入学したが、画家に転向。

最初は生地の画家ヤコブ・ファン・スワーネンブルフに、1624年にはアムステルダムでピーテル・ラストマンに師事した。

1625~31年にはライデンに戻り、聖書を主題にした作品を制作。

1632年からアムステルダム肖像画家として名声を獲得し、社会的にも安定した生活を送った。

1642年には集団肖像画『夜警』(アムステルダム国立美術館)を制作したが、同 1642年妻サスキアが死去、また『夜警』も不評で急速に注文も減り、1656年には破産の宣告を受け、不遇のうちに没した。

微妙な明暗と色彩で人間精神への深い洞察を託した多くの傑作を残し、銅版画も制作。

その他の主要作品は『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』(1632、マウリッツハイス美術館)、『バテシバ』(1654、ルーブル美術館)、『放蕩息子の帰宅』(1668~69頃、エルミタージュ美術館)。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

レンブラントは、世界三大文化巨匠にも選ばれていましたね。

東洲斎写楽は、謎多き画家として有名ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!