こんにちは!
今日は、日本三大植木の産地について紹介したいと思います!
日本三大植木の産地に選ばれたのは、
福岡県久留米市
埼玉県川口市
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
福岡県久留米市
市域中央を東西に筑後川が流れる。
1889年市制。
1951年上津荒木村、合川村、高良内村、山川村の 4村、1958年山本村、宮ノ陣村の 2村、1960年草野町、1967年筑邦町、善導寺町の 2町、2005年北野町、城島町、田主丸町、三潴町の 4町をそれぞれ編入。
中心市街地は近世初期、毛利氏、田中氏の支配下にあったが、元和6(1620)年有馬氏が福知山から入部し、久留米藩21万石の城下町として発展。
廃藩置県後は久留米県、三潴県を経て 1876年福岡県となった。
広い商圏をもつ久留米商人の根拠地。
明治末期から第2次世界大戦末までは師団のある軍都でもあった。
久留米藩は土地改良、灌漑用水の確保など農業振興策をとり、ワタ、ハゼノキ、サトウキビの栽培を奨励。
さらに綿織物、木ろう、砂糖の製造など家内工業を育成した。
特に久留米絣は今日も全国的に有名。
工業では 1922年以来の地下足袋生産から成長したゴム工業が中心。
今日ではタイヤ、チューブなどの各種のゴム製品を生産。
筑後川流域は米の産地。
そのほかカキ、ナシ、ブドウの果樹栽培が行なわれ、キュウリ、トマト、メロン生産も多い。
東部の草野、善導寺、田主丸は苗木、植木、観葉植物などの日本有数の生産地でクルメツツジは有名。
市内には水天宮、久留米城跡、石橋文化センター(久留米市美術館)、国指定重要文化財である高良大社、梅林寺、善導寺、鬼夜の火祭りで有名な大善寺の玉垂宮があり、御塚・権現塚古墳、日輪寺古墳、浦山古墳などの国指定史跡がある。
また高良山参道付近のモウソウキンメイチク林は国の天然記念物。
市域の一部は筑後川県立自然公園に属する。
JR鹿児島本線、久大本線、西日本鉄道大牟田線、九州自動車道、国道3号線のほか多くの幹線道路が通る。
面積 229.96㎢。
人口 30万4552(2015)。
埼玉県川口市
埼玉県川口市とは、埼玉県南東部、荒川を挟んで東京都に隣接する市。
1933年横曽根村、青木村、南平柳村の 3村が合体して市制。
1940年鳩ヶ谷町と新郷村、芝村、神根村の 3村を編入するが、1950年一部が鳩ヶ谷町として分離。
中心市街地の川口は、旧入間川の河口に位置し、かつては小川口といわれた。
この頃からすでに行なわれていた鋳物業が今日の川口を築いた。
鋳物工場は小規模のものが多く、独特の煙突をもつ溶鉱炉(キューポラ)があることから「キューポラの町」といわれる。
このほか機械器具、電気機具、ビール醸造、繊維などの工場も多く、県下最大の工業都市である。
北東部にある安行は苗木の生産地として有名。
新郷貝塚、善光寺などの史跡や、安行の県立花と緑の振興センターなどがあり、その一帯は安行武南県立自然公園に属する。
面積 61.95㎢。
人口 57万8112(2015)。
西宮市の北に位置する。
1954年宝塚町と良元村が合体して市制。
55年長尾、西谷の両村を編入。
中心市街地は 1886年に岡田竹四郎が武庫川右岸に温泉を開発し宝塚温泉と名づけたのが始り。
次いで 1910年に敷設された箕面有馬電気軌道 (現阪急電鉄) がこの温泉の対岸に宝塚新温泉を開発し、遊園地を設置、少女歌劇 (宝塚歌劇団 ) を上演したことが成功し、観光都市への道を開いた。
56年にはボーリングに成功し湧出量が増加、阪神地方に最も近い温泉郷として発展。
1960年代からは周囲の山地の住宅地化が大規模に進んだ。
中山荘園古墳は史跡に指定されている。
山本は植木、花卉の産地。
95年の兵庫県南部地震では大きな被害を受けた。
面積 101.8㎢(境界未定)。
人口 22万4903(2015)。
如何でしたか?
上記の3つの都市にあまり植木のイメージはありませんでした。
マイナーな紹介ですが、このブログが3つの都市に貢献できれば、幸いです。
最後までお読み頂き有難う御座いました!