こんにちは!
今日は、近代建築の三大巨匠について紹介したいと思います!
近代建築の三大巨匠に選ばれたのは、
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
フランク・ロイド・ライトとは、アメリカ合衆国の建築家。
ウィスコンシン大学で学んだのち 1887年シカゴへ行き、近代建築の先駆者ルイス・サリバンのもとで働いた。
1893年独立しシカゴで活躍、アメリカ近代建築運動の指導的な存在となった。
ゆるやかな勾配の屋根と長く突き出たひさし、水平に延びた構成をもつプレーリー・ハウス(大草原住宅)と呼ばれる住宅をシカゴ近郊に数多く設計した。
1916年来日して、代表作の1つとされる帝国ホテル(新館、1920~23、解体後一部は明治村に移築)などを建築、日本の近代建築に大きな影響を与えた。
有機的建築を主張し、自然と調和した建築を目指した。
生涯を通じて膨大な設計を残し、落水荘(1935~37)、ジョンソン・ワックス・ビル(1936~46)、住宅兼建築工房のタリアセン(1911~59)およびタリアセン・ウェスト(1937~59)、ソロモン・R.グッゲンハイム美術館(1956~59)などの傑作を残した。
2019年アメリカ国内の8つの建築作品が世界遺産の文化遺産に登録された。
ミース・ファン・デル・ローエとは、ドイツの建築家。
元は Maria Ludwing Michael Miesと名のったが、のちに母の姓であるファン・デル・ローエを名のるようになった。
ベルリンのブルーノ・パウル、ペーター・ベーレンスの事務所で経験を積み、第1次世界大戦後のドイツで、鉄とガラスを大胆に用いた機能的で革新的な建築プロジェクトを発表して注目を浴び、1929年バルセロナ国際博覧会のドイツ館の設計で国際的評価を得た。
1930~33年ワルター・グロピウスの後任としてベルリンのバウハウスの校長を務め、1938年シカゴのイリノイ工科大学建築科主任としてアメリカ合衆国に渡った。
1944年市民権を得る。
同校の校舎群 (1942以降) や、シカゴの鉄とガラスの高層住宅レイクショアドライブのアパート (1949~51) 、フィリップ・ジョンソンとの共同によるシーグラム・ビル (1956~58) を設計。
均質空間 (ユニバーサル・スペース) という彼の空間概念は、20世紀の建築に重要な役割を果たした。
ル・コルビュジエとは、スイスの建築家、都市設計家。
本名 Charles-Édouard Jeanneret。
18歳で最初の建物を設計、パリ、ベルリンで学んだのち、1917年以降パリを中心に活躍した。
1920年には前衛芸術誌『レスプリ・ヌーボー』L'Esprit Nouveauを創刊、絵画、彫刻、美術評論も試みた(純粋主義)。
第2次世界大戦中は南フランスに移住したが、1944年パリに戻り、1946年にはアメリカ合衆国で国連本部ビルの設計に協力、1950年代以降は国際的に活躍した。
ル・コルビュジエの理論と著作は建築作品と並んで大きな影響力をもち、日本からも前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が彼のもとに学んだ。
機能主義建築の提唱者であったが、晩年はフランスのノートル・ダム・デュ・オー聖堂(1950~55、ロンシャン)に見られるような自由な造形性を示した。
その他の主作品にはフランスのサボア邸(1929~31、ポアシー)、スイス学生館(1930~32、パリ)、ユニテ・ダビタシオン(1947~52、マルセイユ)、日本の国立西洋美術館(1959、東京都台東区)などのほか、アルジェリアのアルジェ(1930)、ブラジルのリオデジャネイロ(1933)、スペインのバルセロナ(1933)、スウェーデンのストックホルム(1934)、インドのチャンディーガル(1950)などの都市計画がある。
主著は『建築をめざして』Ver une Architecture、『都市設計』Urbanisme(1925)など。
2016年、国立西洋美術館をはじめとする世界 7ヵ国に点在する代表的建築物など 17点が「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」として世界遺産の文化遺産に登録された。
如何でしたか?
国立西洋美術館は、ル・コルビュジエの作品として、世界遺産にも登録されているので、ご存知の方もいたのではないでしょうか?
私は、まだ行ったことがないので、今度行ってみたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!