こんにちは!
今日は、世界三大聖地について紹介したいと思います!
聖地とは、なんらかの意味で聖なるものと特別な関係を有すると考えられ、そこをけがすことが禁じられ、またそこに近づくことによってなんらかの効験があるとされるような場所。
特定の地域や都市の場合や、山など同種のものが一般的に聖地とされる場合がある。
ほとんどの宗教もしくはこれに類するものに共通してみられるものであり、仏教では霊場、霊地などと呼ばれる。
また特定の堂などの場合は聖所と呼ばれることがある。
世界三大聖地に選ばれたのは、
メッカ
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
メッカ
メッカとは、サウジアラビアの宗教上の首都。
マッカとも言う。
サウジアラビア西部、ヒジャーズ地方南部、紅海東岸の外港ジッダの東72kmの内陸、シーラト山地に位置する。
オアシス都市で、古くから西アジアとインドを結ぶ香料貿易の要衝。
また泉とその辺のカーバ神殿は、イスラム教徒(ムスリム)の信仰の中心であった。
カーバ神殿、聖泉、聖山があり、周辺一帯が聖地となっている。
イスラム教徒は一生に一度の巡礼を求められており、毎年巡礼月には国内、国外合わせて約 200万の巡礼者が訪れる。
メッカだけでなく、ヒジャーズ地方全体の経済が巡礼からの収入に大きく依存している。
面積26㎢。
人口129万4106(2004年)。
イスラエルの首都と主張され、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地。
ヘブライ語ではイェルシャライム。
エルサレムは紀元前4000年頃に築かれたと言われるが、前1000年頃、ダビデ王により古代ユダヤ王国の聖都とされ、その後、イエスの処刑と復活の地としてキリスト教の聖地となった。
638年にはアラブの支配下に入り、メッカ、メジナに次ぐイスラム教の第3の聖地となり、16世紀以降はオスマン帝国の支配のもと、城壁で囲まれた旧市内に集中する3宗教の聖地が保護され、宗教的共存の時代が続いた。
東半の旧市街は1948年から1967年までヨルダンに属していたが、六日戦争(第3次中東戦争)後の1967年6月にイスラエルが占領、統一都市として管轄権を主張したが、ヨルダン、国際連合の何れもがこれを承認していない。
標高800mのユダ山地上にあり、地中海性気候の為、夏は暑く乾燥するが、冬は雨が多い。
城壁に囲まれた旧市街には宗教史上の遺跡が極めて多く、1981年にヨルダンの推薦で世界遺産の文化遺産に登録。
新市街は20世紀になって開けた近代都市で、官庁、ヘブライ大学などの文化機関が多く、伝統的な旧市街と対照をなす。
人口78万8100(2011年)。
バチカンとは、ヨーロッパ南部、イタリアの首都ローマにあるローマ教皇領。
世界最小の独立国。
テベレ川西岸に近く、サンピエトロ広場を除いて古い城壁に囲まれている。
754年のピピンの寄進により教皇領が成立、中世には広大な領域となったが、教皇のバビロン捕囚(1309~1377年)の間に荒廃。
イタリア統一に際して、イタリア王国軍が、教皇の支配下にあったローマ市(1870年)を軍事的に占領、首都とした為、ローマ教皇庁はイタリア政府と対立を続けていたが、1929年、ラテラノ条約によって和解が成立し、バチカン市国が誕生した。
ラテラノ条約はカステルガンドルフォにあるバチカン宮殿、ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マジョーレ聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂、いくつかの省等、イタリア国内に散在するバチカンの不動産に治外法権または公用徴収免除、免税の特権を与えている。
市国は教皇を主権者とし、立法、司法、行政組織を持ち、諸外国と外交関係がある。
日本はバチカンと1942年に外交関係を樹立、今日では大使を交換している。
貨幣、切手を発行し、29ヶ国語による放送を行い、日刊紙『ロッセルバトレ・ロマノ』を発行している。
また教皇の警護の為、スイス衛兵が1506年からその任にあたっている。
人口の大部分は教皇庁で働く聖職者で、庁内の職務を去ると元の国籍に戻る。
市国内にはサン・ピエトロ大聖堂、システィナ礼拝堂、博物館、図書館、庭園等がある。
図書館、博物館は古文書、古美術の宝庫であり、建築物も含めて、ラファエロ・サンツィオ、ミケランジェロ、フラ・アンジェリコ、ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジオらルネサンス期の巨匠の優れた美術作品が多い。
如何でしたか?
宗教による聖地が、歴史的観点から見ても、多大な影響を及ぼしているのが分かりますね。
日本史だと、聖地のようなものを奪い合う出来事はあまり無かったと思うので、宗教に対する観念の違いとかもあるのですかね?
何れにせよ、世界史を学ぶことは、現在の世界がどのように形成されたかを知ることができるので、1度学んでみてください!
最後までお読み頂き有難う御座いました!